今朝、ふと気づいてしまいました。
「あれ、今の私、好きじゃない」って。
その感覚が、胸のあたりにすっと落ちてきたのです。
口から出た言葉に、「違う」と思った瞬間
昨日、ある会話の中のことです。
口を開いた。言葉が出てきた。 でも、その瞬間に感じたのです。
「あれ、こんなこと言いたかったわけじゃない」って。
本心じゃない、とはわかっています。 でも、どれが本心なのかもわからない。だから止められなかった。 次の言葉がどんどん出てきて、どこかへ流れていく。
私はいつもこう伝えています。「人の心を動かすのは、心が乗った声だけです」と。
なのに、あきらかに心を乗せられていない自分がいた。 ありのままの心が、声に乗っていない感覚。声が「無」になっている感覚。
声の仕事をしていながら、恥ずかしいですね(苦笑)。
私がずっと大切にしてきた考え方
「伝わる」の本質は、心・体・言葉の一致にある。
これが、私の仕事のすべての根っこにある考え方です。
仏教に「身口意一体(しんくいいったい)」という言葉があります。身(からだ)・口(言葉)・意(こころ)の三つが揃ってはじめて、行いに本当の力が宿るという考え方です。私が日頃お伝えしている「伝わる本質」は、まさにこれと同じです。いくら言葉を磨いても、心と体がついてこなければ、相手には届かない。
声のcampusを立ち上げた日から、この考えはずっと私の背骨にあります。だから、心の声を大切にすることを、伝えることの原点にしてきました。
2月の出来事と、3月の宣言
昨年のたくさんの出会いのおかげで、本来の自分らしさがどんどん解放されていきました。「私だからできることがある」と思える自分になれた。自分のことが大好きって、堂々と言えるようにもなれた。
ところが今年の2月ごろ、大切なものを失いかけた出来事がありました。
気づいていなかったのです。目の前のことにがむしゃらになりすぎていて、心と体と言葉がズレていることにすら気づかないまま走り続けていた。
その出来事があって、初めて立ち止まりました。
このままじゃ、描いていた未来と別の方向に進んでしまう。そんな危機感を感じたのです。
思えばずっと、心はサインを出し続けてくれていたんです。でも、タスクに追われたり、「これしかない」「やらなきゃ」という気持ちに駆られていると、人はそのサインに気づけなくなってしまう。
だから、そこから宣言しました。「心の声のままに生きる」と。それからは、思考じゃなく心と向き合い続けてきました。
なのに、今また、ズレています。
いろんなことが同時に動いていて、こんがらがってきているのかもしれません。自分の心をキャッチしようとしても、うまくつかめない。だから言葉や行動が先走って、本心とは違う方向へ流れていってしまう。
そのまま放置してしまうと、気づけば引き返せないところに到着してしまうんです。
冒頭の一言——「今の私、好きじゃない」という感覚は、そこから来ています。久しぶりの感覚で、ちょっと衝撃でした。うお〜、私まじか……って(笑)。
だから、少し立ち止まります。
心と言葉が揃っているとき、人は自分を好きでいられる
心と言葉がズレているとき、頭では気づいていなくても、心は敏感にキャッチしています。
「その言葉、心と違うよ」って。
それを続けていると、やがて身体にもサインが出てきます。 体調がすぐれなかったり、疲れがとれなかったり、理由のないモヤモヤやムカムカ、心がズーンと重くなったり。
その小さなサインをキャッチできるかどうかで、人生は変わると思っています。
自己肯定感は、我慢の上には成り立ちません。自分の意思で選択できているかどうか。 つまり「今、自分の心に正直に生きられているか」——根っこはそこだと、私は思っています。
「身口意一体」——仏教のこの言葉が示す通り、身・口・意が揃ったとき、はじめて言葉に本当の力が宿ります。
心と体と言葉が揃っているとき、人は自分を好きでいられます。 揃っているとき、誰かの心に届く。
だから、「伝える力」を育てることは、「自分らしく生きる力」を育てることと、まったく同じなんです。
今日、あなたの言葉は、心と揃っていましたか?
ズレに気づいていること自体が、大事な一歩だと知っています。
気づいたら、少しだけ立ち止まる。深く息を吸って、自分の心に「今、ほんとうはどう思っている?」と聞いてみる。
そうやって、少しずつ、心と言葉を合わせていく。
あなたはどうですか。
今日、あなたが口にした言葉——その言葉は、あなたの心と、揃っていましたか?