「わたしは、社会に必要のない、ゴミのような人間だ。」
かつて、本気でそう思い込んでいた時期があります。今日は、そこから抜け出すまでの話をします。
橋渡し役だった子ども時代
もともとは、歌うことも声を出すことも大好きな、天真爛漫な子どもでした。
でも、両親が不仲な家庭で育つうちに、少しずつ変わっていきました。間を取り持つように明るく振る舞ったり、ふたりの間に立って、それぞれの言い分を伝える役目を、自然と担うようになっていたのです。
母は、弱音も涙も見せない強い人でした。その姿を見て育ったわたしは、いつしか自分の本音にも蓋をして生きる人間になっていました。相手の顔色を読み、ご機嫌を伺い、場の空気を読み、本当は辛いことも笑って流して、自分が本当はどう感じているかは、後回しにしてきたのです。そうして、人の反応を優先する大人へと、成長していきました。
自分を見失っていた社会人時代
わたしは、中途半端な自分にコンプレックスを抱いてきました。
習い事も長続きせず、進学先も第一志望ではない。何かに心から夢中になった経験がない。そんな自分が嫌でした。
社会人になってからも、得意不得意などの自分らしさがわからないまま、とにかく目の前の仕事をひたむきに懸命にやっていました。合わない仕事に就いても、「できない自分がダメなんだ、できるようにならなきゃ」と、無理に向き合い続けたのです。
苦手なことを毎日求められる中、周りの人たちが当然のようにできることが、私にはできない。周囲から陰口が聞こえてくることも頻繁にありました。それでも「私が悪いから仕方ない。なんとかしなきゃ」と、自分に言い聞かせ続けていたのです。
そうしているうちに、完全に自分を見失っていきました。あるとき、こんなふうに思い込むまでになっていたのです。
「わたしは、社会に必要のない、ゴミのような人間だ。」
弱みが強みに変わった瞬間
転機は、そんな自分が、大学生の就職活動を支援する仕事に出会ったことでした。
不安でいっぱいの学生たちの話を、まずはじっくり聴くこと。認めること。そして、本当の想いや強みを言葉にするお手伝いをすること。すると、目の前の学生たちがみるみる自信を取り戻し、目をキラキラ輝かせて、自分から動き出せるようになりました。「相手の顔色を見る」という私の弱みが、強みに変わったのです。
何人もの学生から、こんな言葉をもらいました。
「藤島さんみたいな大人に、もっと早く出会いたかった。」
彼らが教えてくれました。わたしの価値は「人の本来の力を引き出すこと」。誰よりも寄り添い、引き出し、言語化できる力。
「社会に必要のない人間だと思い込んでいたわたしに、こんなに人に必要とされる力があったんだ。だったら、もっともっと届けよう。学生たちが社会に出てからも、幸せに働いてほしい。企業とのミスマッチや、不幸な理由で人生を諦めたり、心を痛めたりしてほしくない。そのために、わたしだからこそできることがある。」
『若者たちが、自分らしく、いきいき輝いて働ける社会をつくりたい。』
これが、独立を決めた理由です。
声という手段との出会い
学生支援の仕事は、会社員として9年ほど続けていました。
その途中、コロナをきっかけに、「さらに自分の好きなことと掛け合わせて、人の人生を後押しできないか?」と考えるようになりました。そこで、真っ先に浮かんだのが「声」でした。
声の先生という仕事があると知り、すぐに養成講座に申し込み、1年ほどのトレーニング期間を経て認定資格を取得し、2022年から声の先生として活動を始めました。
そうして、2024年1月、独立。大好きな声と、学生支援の現場で培ってきた対話の力を掛け合わせ、若い人たちが自分らしく、いきいきと輝いて働ける社会をつくること。それが、独立を決めた想いでした。
それでも、この時のわたしは、あくまでも学生支援をしている人。自己紹介でも、いちばんに名乗っていたのは、学生支援でした。
でも、まだ物語はここで終わりません。
このあと、ある人のたった一言で、目の前がピカッと光るような瞬間が訪れます。そして、その先でもう一度、「自分はいったい何者なのか」を突きつけられ、苦しむことになるのです。
次回、その続きをお届けします。
声のcampus代表。想いを届ける司会・ナレーション、対話で人と組織をつなぐ企業研修・ファシリテーションを軸に、ラジオパーソナリティ、大学非常勤講師、経営者インタビューメディア「コントリ」インタビュアーとしても活動中。ビジョンは「声の力で、誰もが自分らしくいきいき輝いて働く社会の実現」。人が定着する組織に必要なのは「理念の浸透」と「相互理解」。そのために必要なのが、聴く・認める・伝えるという”対話の文化”。一人ひとりが主体的に力を発揮し、互いに認め合い助け合える、強く持続的な組織をつくる。すべては、声から始まる。