気づいたら、会場を動き回ったり、片付けたり、裏方の仕事をしていました。誰に頼まれたわけでもなく、自分から。
周りの人が動いていると、自分だけじっとしていられない。なんだか申し訳ないから、常にできることを探して、気づけば必死で動いている。そんな感覚、わかる方も多いのではないでしょうか。
気づけば裏方になっていた日
先日、ある集まりに特別ゲストとして誘われました。
行く前から、実は小さな違和感がありました。「なんとなく、今のわたしが目指している方向とは、波長がずれる場かもしれない」。そんな直感です。
でも「誘ってもらえたのだから」「せっかくのご縁だから」「行ってみないとわからないから」と、その小さな違和感にふたをして出かけました。
会場に着くと、もう一人ゲストとして招かれていた方は盛大に紹介をされ、席に座ってお酒を飲みながらお喋りを楽しんでいる。かたやわたしは、配膳したり食器を洗ったり、注文確認をしたり、気付けば開始から終了までずっと、座りもせず動き回っていました。
運営の人たちがバタバタしているのを見て「手伝わないわけにいかない」と、ついつい動いてしまったんです。
誰かに強制されたのではありません。誰も何も言わないから、自らそういう選択をした。
だからこそ、あとになって気づいたことがあります。
「わたしの役割って、結局何だったんだろう」
悔しさの正体は、扱われ方だけじゃなかった
家に帰ってからも、しばらく悔しさが消えませんでした。今思い出してもじんわり悔しいです。負けず嫌いなんです(笑)
最初は「扱いに差をつけられた」というところに気持ちが向いていました。でも疲れ切った身体でトボトボ帰りながら、悔しさの向き先が違うことに気づきました。
本当に悔しかったのは、相手に対してじゃない。自分に対して、でした。
ひとつは、直感の違和感にちゃんと気づいていたのに、それにふたをして出かけてしまったこと。
もうひとつは、行った先でも、ひたすら自分から動いて、自分の役割、目的、立ち位置を自分でブレさせるようなふるまいをしてしまったこと。
手伝うこと自体が、いけなかったわけでも、嫌なわけでも全くありません。大事なのは、その場に何の役割で呼ばれているのか、自分はどんな立ち位置でいるのかを、関係者と事前に認識をそろえた上で、自分の中でちゃんと決めておくこと。
やれることがあるから動く、じゃなくて、決めた設定の中でどう振る舞うか。そこが違ったんだと思います。
役割があいまいなまま「まぁありがたいから」と流してしまうと、お互いの目的も、本来の役割も、当日の状況などの外的要因によって変わってしまいます。
チームや組織づくりにおいても、「みんなでやれることをやろう」だと一人一人の本来持っている力が分散してしまう。各々の持ち味を持ち寄り、適材適所のポジショニングをして、自分の持ち場で思う存分力を発揮することが、チームとして最大のパフォーマンスを生み出すのです。
わくわくか、なんか違うか。二択だけでいい
この経験から、これからのお誘いへの向き合い方を、ひとつのシンプルな合図に決めました。
その場にいる自分を想像して、わくわくするか。それとも、少しでも「なんか違う」があるか。
わくわくして選んだ場所なら、たとえ行ってみて予想と違っても、それは気づきという名の収穫になります。でも「なんか違う」を感じたときは、行ってみたら何かあるかもという期待は手放して、その場で立ち止まっていいんです。
そしてもうひとつ。一度「行く」と決めたあとでも、違和感を感じた時点でやめていい。「もう決めたから」で自分を縛らなくていい。
お互い、命の時間を使っています。エネルギーが最高の状態じゃないときの時間の使い方は、もったいないですから。
誘う側にも、同じだけの責任がある
もうひとつ、この夜が教えてくれたことがあります。それは、誘う側・招く側に立ったときの心構えです。
今回、役割があいまいだった根っこには、ゲストの立ち位置を誰も明確にしていなかったこと、関わる人たちの間でも共有されていなかったことがありました。「なんとなくやってくれそうだから」という誘う側の軽さと、頼まれなくても動いてしまうわたしのようなタイプ。両方が重なると、こういうことが起きるんだと思います。
本来、ゲストは働くために呼ばれたわけではありません。それはわたしも、頭ではちゃんとわかっています。でも、動いてしまう性分の人ほど、誰かが先に「ここは座っていてください」と線を引いてくれないと、自分では止まれないんです。
今回のことで、はっきり学んだことがあります。招く側が「やってくれるなら、お願いしちゃおう」に甘えてしまうこと。そして関係者への役割の共有を後回しにすること。このふたつが重なると、招いたはずの人に、あの日のわたしのような想いをさせてしまうんです。
だからこそ、これから自分が場をつくる側に立つときは、決めたことを大切にしたいと思っています。声をかけること自体は、ふとした思いつきでいい。でも役割や立場があいまいなまま人を巻き込まない。動いてしまいそうな人にこそ、先に「大丈夫、座っていてください」と伝える。決めたあとは、関わる人みんなに同じ景色を見てもらう。
役割がはっきりしていれば、周りを気にして探り合う必要がなくなります。一人ひとりが、自分のやるべきことに集中して、そこに全力を注げる。それぞれが自分の持ち場で力を出しきったとき、個を活かした最高のチームが生まれるんだと思います。
招いた人にも、支えてくれるスタッフにも、あの日のわたしのような想いは、絶対にさせたくないから。
自分の心の声を大切にすること。そして、自分が誰かを迎える側に立ったときも、その人の心の声が置き去りにならないようにすること。この二つは、きっとつながっています。
小さな違和感を無視しない自分でいること。そこから、自分らしく輝ける場所も、誰かを輝かせる場所も、少しずつつくられていくんだと思います。
これからも、わたし自身の「わくわく」と「なんか違う」に、正直でいようと思います。あなたの心の声も、今日一度、聞いてみてもらえたら嬉しいです。
声のcampus代表。発声・感情・ストーリー構成を軸に「伝える力」を育てる。声に出して伝える人間にしかない力と、AIを使って文字で伝える力。この二軸で、一人ひとりが自分らしく輝き、自ら走り出す人と組織を育てる。声を通して愛情と感謝が循環し、人と人とがつながり助け合う、やさしい世界をつくる。それがわたしの使命。あなたの心の声には、あなたにしか出せない力が必ずある。その声を、ここで一緒に解き放つ。